2010年4月20日
上座部仏教
釈迦生前の仏教においては、出家者に対する戒律は多岐にわたって定められていたが、釈迦の死後、仏教が伝搬すると当初の
戒律を守ることが難しい地域などが発生した。仏教がインド北部に伝播すると、食慣習の違いから、正午以前に托鉢を済ませ
ることが困難であった。午前中に托鉢・食事を済ませることは戒律の一つであったが、正午以降に昼食を取るものや、金銭を
受け取って食べ物を買い正午までに昼食を済ませる出家者が現れた。戒律の変更に関して、釈迦は生前、重要でない戒律はサ
ンガの同意によって改めることを許していたが、どの戒律を変更可能な戒律として認定するかという点や、戒律の解釈につい
て意見が分かれた。また、その他幾つかの戒律についても、変更を支持する者と反対する者にわかれた。この問題を収拾する
ために、会議(結集、第二結集)が持たれ、この時点では議題に上った問題に関して戒律の変更を認めない(金銭の授受等の
議題に上った案件は戒律違反との)決定がなされたが、あくまで戒律の修正を支持するグループによって大衆部(現在の大乗
仏教を含む)が発生した。大衆部と、戒律尊守の上座部との根本分裂を経て枝葉分裂が起こり、部派仏教の時代に入ることと
なった。厳密ではないが、おおよそ戒律尊守を支持したグループが現在の上座部仏教に相当する。
その後、部派仏教の時代には、上座部からさらに分派した説一切有部が大きな勢力を誇った。新興の大乗仏教が主な論敵とし
たのはこの説一切有部である。大乗仏教側は説一切有部を論難するに際して、(自己の修行により自己一人のみが救われる)
小乗(ヒーナヤーナ、hiinayaana)仏教(しょうじょうぶっきょう)と呼んだとされる(ただし、小乗は大乗仏教側からの侮
蔑の意味を含んでいるので今はあまり使用されない)。大乗仏教は北インドから東アジアに広がった。
上座部仏教はマウリア朝アショーカ王の時代にインドから主に南方のスリランカ(セイロン島)、ビルマ、タイなど東南アジ
ア方面に伝播した。南伝仏教という呼称はこの背景に由来する。現在では、スリランカ、タイ、ミャンマー(ビルマ)、ラオ
ス、カンボジアの各国で多数宗教を占める。またベトナム南部に多くの信徒を抱え、インド、バングラデシュ、マレーシア、
インドネシアにも少数派のコミュニティが存在する。
アジアの上座部仏教圏のほとんどは西欧列強の植民地支配を受けた。宗主国で、支配地の文化研究が植民地政策の補助として
奨励されたため、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教の経典・教典の文献学的研究はイギリス(スリランカとミャンマーの旧宗
主国)を中心に欧州で早くから進んだ。ロンドンのパリ・テキスト協会から刊行されたパーリ三蔵(PTS版)は過去の仏教研究
者のもっとも重要な地位を占めた。その後イギリスは植民地の宗主国としての地位を喪失し、大学でも日本のようなインド哲
学科が設置されることはなく、サンスクリット語研究はオックスフォード大学で細々と行われている。一方で欧米人の中から
上座部仏教の比丘になる者や、またスリランカでは英語の堪能な大学を卒業したスリランカ出身の比丘が中心となり(公用語
はシンハラ語とタミル語。連結語として英語も憲法上認められている)、大学という枠組みの外でパーリ三蔵の翻訳が活発で
ある。
一方で、イギリスの旧植民地のスリランカやビルマ、タイから移民や難民がアングロサクソン系のイギリス、カナダ、アメリ
カ、オーストラリアに大規模に流入した関係で、欧米への布教伝道も旺盛に行われている。欧米にはチベット密教系や東アジ
アの禅宗系と並んで、あるいはそれ以上に数多くの、上座部仏教の寺院や団体がある。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
上座部仏教はテーラワーダ仏教、テーラヴァーダ仏教とも呼ぶそうです。
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